2009年11月9日(月)
灰干し法でワカナに付加価値を!

11月6日、海は凪いで久し振りに漁にでかけた。潜行板とヒコウキの先に小さなイカの疑似餌をつけて引っ張るトロール漁法を試みた。港をでるとすぐに40〜50cmのワカナ(ハマチ)がかかった。水深30〜40mの磯辺で次々かかり興奮した。約2時間で持って出たクーラーが一杯となり帰ることにした。今頃のワカナは油がのって美味しいのだがこの魚をどうするかが問題である。漁協に出荷すると一匹100円にもならず船のガソリン代に消える。楽しませてもらっただけでいい、この魚は親戚、知人に配ることにしようと2匹ずつ配った。その夜“刺身して食べたらうまかった。明日また刺身して食べようと女房と話したとこだ”と礼の電話が入った。それでいい。よろこんでもらえればと年金漁師は思うのだが・・・

専業漁師はそうはいかない。漁獲は減り、魚価は下がり、燃料代はあがるという厳しい状況下にある。25年前にくらべ出雲市海域の漁師の数は半減している。そして65歳を超えた漁師が半分以上にもなる。自分の子供に“あとを継げ”という漁師がいないからこれから急激にその数が減っていく。これまでの一本釣り漁業法では生活がなりたたなくなった結果である。

農業しかり、林業しかりで一次産業は新たな生き残り策をとらないと壊滅する。

市場価値のない魚を灰干し法で付加価値を付け利益につなげているところがある。11月21日(土曜日)その指導者である藤村望洋氏が遠路鵜鷺にきて灰干し法の実地指導していただけることになった。ワカナとレンコダイを試してみたいと考えている。興味のある方は鵜鷺コミセンまで!上記以外の魚種で試してみたい方は魚を持参の上参加してください。

2009年11月1日(日)
疱瘡の守護神 追記

 伊奈西波岐神社は疱瘡の守護神として戦後間もないころまでは他所からもお参りにくる人がたくさんありました。種痘接種により天然痘が撲滅され、他所からお参りにくる人はなくなりました。

 子供のころできものが次々にできてなかなか治らず難儀したことを覚えています。医者にはかからず、おふくろと一緒に神社にお参りにいきました。そのごいつのまにか治っていたことを思い出しました。鵜鷺では皮膚病に困っている人を見かけません。ご利益のせいでしょうか?

 7月、化学物質アレルギーの人が農薬散布の期間中(20日間)滞在したいということでやってこられました。赤くただれた赤ちゃんの肌がみるみるよくなっていきました。農薬散布が終わったということで帰っていかれましたが10日するとやはりだめということでふたたびやってこられました。もちろん来るとすぐによくなりました。ということで移住することになりました。

 伊奈西波岐神社のご利益なのか?山と海に囲まれ空気や水がきれいなことによるものか?
 霊験ゆめゆめ疑うことなかれ!!
 私等はよいところに住わせてもらっています。

2009年9月14日(月)
NHK「おはよう中国」

 9月12日(土曜日)7時40分過ぎNHK「おはよう中国]で鵜鷺げんきな会の活動が放送されました。放送が終わるとすぐに電話が鳴り始めメールを合わせ十数本かかってきました。また、当HPのアクセス数が通常の10倍になっていました。その前9月5日(土曜日)12時40分の県内の放送では親戚からの電話が2本、それにくらべて影響の違いを知りました。県内では再放送があと2回あります。前ページ参照。

 岡山と鳥取の人から2件の予約が入りました。また改めて予約を入れたい人が数人ありました。ゆっくり絵を描きに行きたいという人もいました。

 一方、場所や連絡先を字幕にだしてもいいのに、NHKは不親切だとの苦情を言う人もいました。
 「行くと魚や野菜がもらえるのか?」、「いつもではないがそんなこともあります」とこたえると「放送ではサザエをもらっていたではないか、あれはやらせか!」「あれは小学生の子供とおじいさんが友達になり、帰るので土産にもってきたもの。やらせなどではない」などやりとりもありました。ともかく影響の大きさにびっくり。

 自分の顔がアップで写しだれるのは恥ずかしく、テレビを消したい気分だったことを申し添えます。しかし、鵜鷺の良い宣伝になったことをNHKに感謝すると同時に活動に対する責任を感じております。ご支援よろしくお願いいたします。

2009年9月3日(木)
鵜鷺げんきな会の活動がNHKで放送

 鵜鷺げんきな会は空き家を借りて手入れして宿泊客に貸出ています。年々利用客は増えています。今年は特に長期滞在と国際化を果たしました。マーク・デリソナ氏から今秋に再訪したいが空いているかと打診がありました。また、農薬散布から避難してこられた家族からは移住が検討されています。会の究極の目標は人口減少に歯止めを掛け地区崩壊を防ぐことにあります。まさにその方向に動きはじめました。

 鵜鷺げんきな会の活動がNHKで放送されることになりました。力強い応援になるとよろこんでいます。

 放送日は以下の通りです。

  9月5日(土) 1240

  再放送 9月16日(水) 1135

  再放送 9月28日(月) 1555

 いずれも5分間です。

 上記はいずれも県内のみですが

 ”おはよう中国”での放送が決まったそうです。

 9月12日 午前7:30〜8:10 の中の5分間

 ぜひごご覧になって応援がいただけたらと思います。

2009年8月13日(木)
農薬から逃れて

アメリカでミツバチが消えてしまい(巣箱にもどってこない)、果樹などの受粉ができなくなって大きな問題になっているとの報道番組を見ました。その原因はまだ解明できてないそうです。アメリカの問題と思っていましたが日本でも同現象が起こっているとのことです。

7月のある日、鷺浦の山中にミツバチを預かってもらえないかと雲南地区の養蜂組合長から電話がありました。農薬散布から蜂を守りたいとのことでした。昨年から松喰い虫の薬剤空中散布がなくなり、問題ないということで、人里離れた山に案内しました。巣箱を3、40箱置かせて欲しいとのことで了解しました。

7月27日から8月17日まで農薬から逃れるために家族が岡山からきています。子供さんが化学物質アレルギーで来たときはマスクをしていましたが直ぐマスクを外して遊び始めました。子供の少ない地区民にとって子供の声が聞こえるようになって逆に元気をもらいよろこばれています。

昨年、岩見屋を利用した大阪の客人がぜんそくの子供が夕べは一度も咳がでなかったとよろこんでいました。仕事があれば引っ越ししたいのだが・・・といっていましたが世話ができずに残念!

豊かな自然に包まれ、空気がうまい、水がおいしい。貧しくとも暮していける仕事場さえあればこれほど衰退することはないのだが・・・

2009年8月12日(水)
フナ虫が復活!

昨日、波止場で3匹のフナ虫を見たときは感動しました。以前大群をなしていたのにとんと見かけなくなっていたのが姿を見せたのです。

昨年6月、松喰い虫の薬剤空中散布後、目の異常を訴える人が1,000人を超え、有識者による松喰い虫被害対策地区連絡協議会が設置されました。その調査内容からは明確な因果関係は特定されませんでしたが出雲市は「安全が保障されない限り、空中散布はできない」と結論付けられました。その結果松喰い虫の被害は酷くなりましたが姿が見えなくなった昆虫が復活しました。

薬剤散布は松喰い虫に限らず、他の昆虫までも殺していたと改めて気付きました。

松が枯れて、雑木林になったように見えてもよく見るとその中に小さな松の木が生えているのに気付きます。松は岩場の痩せた土地でも育ち、成長が早く何時か復活してきます。

そんな現場をたくさん見てきました。薬剤散布をやっても松枯れを遅くするだけで広い山林を守り切ることはできません。散布中止は前出雲市長(西尾氏)の英断であったと思います。

雑木と松が入り混じった自然の林ができ、フナ虫に限らず他の昆虫、益虫も害虫も増えて自然の状態がもどることはいいことでしょう。

2009年8月4日(火)
こまえの「田舎ツーリズム」体験リポート 1 〜鵜鷺げんきな会編〜
 

竹内こまえさんがリメンバーしまねHPに載せる記事の取材に7月16日こられました。

12時過ぎに見え、14時過ぎに出発その間に食事も入れるという短時間での体験レポートになりました。

いつものように海水をなめてもらい海水中の塩分濃度3%を実感してもらいます。その後にがりをなめてもらいゆがんだ顔をばっちり写真に。このにがりを少なくして鵜鷺げんきな会がつくる塩はまろやかであることを説明します。あらめの甘酸っぱい匂いを嗅いでから少し食べてあまさと塩味を感じてもらいます。このあらめをゆっくり煮たててエキスを抽出し混ぜたものが藻塩になることをつけ加えます。まろやかさと旨みがある“鵜鷺の藻塩”をPRしました。

つぎに煮えたぎる本釜に木をくべてもらい、その際よく燃えるようにイゲタに組むように注文をつけ、その間に輻射熱のすごさと仕事の大変さを感じてもらいました。

また、塩が釜の底に付かないようにかき混ぜつづけて“手塩にかける”ことばの意味を実感してもらいます。

本釜では短時間で塩は炊けないので七輪に炭を入れて火を起し、小なべにあらかじめ5倍に濃縮した海水を入れて炊きます。透明な海水が沸騰し始めるとすぐに白くなり30分で約30g程度の塩ができます。自分が作った塩をみて大喜び、乾燥は間に合わないのでそのままの塩とお土産用塩をお持ち帰りいただきました。

にがりを使って豆腐つくり体験、採りたてのとまとときゅうりに塩をつけて美味しさを味わうのも体験としてリポートしてもらいました。

塩炊きメンバーと一緒に記念写真を撮らせてもらいました。


 中心の青い服の人が竹内こまえさんです

あいにくの雨の中でしたが町並み散策を終えて次のリポート先、佐田の一縁荘へと向かわれました。できれば磯の遊覧もということでしたが短時間でしかも雨の中それは無理な注文でした。こまえさんのリポートは下記にアクセスしてください。

こまえの「田舎ツーリズム」体験リポート 1〜鵜鷺げんきな会編〜

次の日はスポーツ報知大阪の取材が7月31日の新聞に掲載されました。また、下記HPにも掲載されています。
高速道路で行く 人情に触れる田舎体験:スポーツ報知大阪版


 写真は塩炊きの取材をされている様子です
    黒い服の人が記者さんです

すこしづつですが鵜鷺げんきな会の活動が県外にでるようになりました。

2009年7月25日(土)
鵜鷺海辺の田舎体験ツアー

昨日(7月24日)から3日間“鵜鷺海辺の田舎体験ツアー”を昨年に続いて行うはずであった。昨年は募集してから3日で定員を超えてお断りする状況にあったが今年は3ヶ月しても応募する人は5名と少なく延期することになった。延期といっても海辺の体験は寒くなると泳ぐことはできないし、海は荒れる日が多くなる。従って天候にあまり左右されないメニューに変えざるをえない。海の魅力を全面に出した体験メニューはできなくなり、人を集めることが難しく、結局中止になる。

県の担当者の話によると今年は隠岐でのツアーも同じ結果になったと聞いた。不況の影響であろうか?関心のある人に情報が届いてないのではなかろうか?

予定通りツアーを実施していたらどうなったかというと3日連続雨、海に出られる状況になかった。結果的に実施しなくてよかったということになる。

昨年の参加者の中には“映画の中にいるような別世界だった”と感想を述べた若い女性がいた。天気がよければ最高の体験になったと思うが悪いと最悪となる。良いのも悪いのも田舎体験であるが良いものから入ってもらわないとの思いがある。

2009年7月21日(火)
人が網の中に追い込まれる

本日(7月21日)鷺浦地区“弥山山地シカ侵入防止柵整備事業”の説明会があった。

これは人の住む集落全体を金網で囲む計画である。広大な弥山山系を鹿に開け渡し、我々人間は金網の中で生活するという異常なことになる。説明会の中でそれでも万全ではないとする意見はたくさん出されたが網で囲まれることに反対する人は誰もいなかった。鹿の被害で痛い目に合ってきた住民の苦々しい思いのあらわれである。

「鳥獣害防止総合対策事業」として国庫補助制度が活用され(費用負担 国55%、県9%、出雲市36%)この計画が持ち上がった。地元の意見集約はおわり、今月中に要望書が提出され、地元の意見を取り入れた詳細設計を経て地主の承諾を得、9月に出雲市議会で承認を得ると今年度中に工事が完了する運びとなる。

一方、網の外はどうか?鹿のやり放題である。杉やヒノキは角こすりで皮をむかれ、竹藪はタケノコが食べられ防護柵がないところは新しい竹が育たないので瀕死の状態にある。我が家の柿木は皮を食べられ枯れてしまった。キノコ狩り、山菜採りの楽しみは無く、草も食べられ地面が剥きだしのところが増えた。下草のない山は僅かな雨で土が流されるようになる。鹿が食べないシロダモやアブラギリの木だけが繁茂する。

森が海を育てるというが山がやせるとその養分がなくなり、海に流れてこなくなる。海の生物にとっても大きなダメージを受けることになる。

過っては鹿の天敵、オオカミや野良犬によってバランスが保たれていたと思われるが鹿の保護地区となってどんどん増えてきた。頭数制限のためこれまで毎年400頭前後の鹿を捕獲したというが減った気配がしない。それにとどまらず天敵(猟犬)を放すなどして網などいらない頭数まで減らさないといけない。

地球温暖化の原因物質CO2は杉や松が一番吸収すると聞いた。杉は鹿に皮を剥かれ、松は松喰い虫にやられた。山の仕事は金にならなくなって人は山の手入れをやめた。そうした結果山は荒廃した。山の再生も急務になっていると思うのだが・・・

2009年7月15日(水)
品切れご免!!

夏休みをとろうと6週連続で塩を炊きました。

先週から気温も湿度もぐーんと高くなり作業が大変きつくなりました。それは我慢すればすむことですが気温32℃、湿度92%これほど高くなると塩の乾燥ができません。1週間前に始めた塩がいまだ乾きません。乾燥機の熱源は家庭用の電気ストーブを使っています。温度が高くなると自動的にスイッチが切れる構造になっておりいつの間にか停止しています。今年は除湿乾燥機をつけましたがこれもタンクに水が3L溜るとスイッチが切れる構造になっています。もう3Lも水分はないだろうと目を離すと今度は時間オーバーで止まっています。そうなるとそこそこ乾いた塩が湿気を吸って再び濡れてしまいます。つきっきりというわけにはいかず困っています。品切れご免!!

なんとか乾燥を終わらせ夏休みにしたいと思っています。

2009年7月14日(火)
鵜鷺の藻塩”新商品

      従来品


      新商品

“鵜鷺海の恵み”(藻塩)はまろやかで美味しいと評判ができて好評販売中ですが一方で“包装が安っぽい”との声が聞こえて気になっていました。包装に金をかけるのは無駄だと一番安いものを使い、その分安く販売していましたが鵜鷺地区までも安っぽく見られるのではとの思いをもつようになりました。

袋を良いものに、ラベルも印刷がきれいにできる紙を使いました。名前も“鵜鷺の藻塩”に変え、海辺の写真も変えました。これで競合品に比べて遜色がなくなったと考えています。また、品質もにがり分を抑えてよりまろやかに、あらめエキスも色が黒くならない程度に若干増やしました。当然お値段もそれなりに高くなりました。“もっと高くても”との声もありますが1袋250円を300円で販売することになりました。当分は両方を販売しますがゆくゆくは統一したいと考えております。ご愛顧よろしくお願い致します。

2009年6月30日(火)
海蛍(夜光虫)の観察会

 梅雨前線が停滞して雨がよく降る。八千代川は水嵩を増し轟々と激しく音を響かせている。あれだけ鳴いていたカジカ蛙も山の中へと避難して鳴き声を潜めている。先ほど、雨の中蛍はどうかと行ってみた。源氏蛍はゆうゆうと飛んでいるのを確認した。一方、たくさんいた姫蛍の方は僅かしか見ることができなかった。この雨でどこかに姿を隠している。

6月27日(土曜日)カジカ蛙と蛍の観賞会を行った。今年は海蛍(夜光虫)の観察を加え3点セットにしたことで20名の募集に対して50名を超える人が集まった。

参加人数が増えたのでカジカ蛙の観察を終えたところで山と海の2班に分けて交互に観察することにした。この日はカジカ蛙も良く鳴き、蛍もピークと言わないまでもたくさん出ていた。

海蛍の観察は人工の明かりが全く届かない梅湾まで小舟で渡って行った。船から海面に手をつけてパシャパシャかき混ぜてもらった。すると海がピカピカひかりだして歓声があがった。初めての経験に皆さん興奮して“来てよかったねー”と喜ぶ声があちこちからあがり、主催側として思惑通りの成功をよろこんだ。今回は単純に手で海面を掻き混ぜるだけであったが次回は小道具を用意してより面白い観察会をやってみようと考えている。

この夏、夕涼みがてら漁火と海蛍(夜光虫)の観察をしてみたい方は 鵜鷺げんきな会 安部までご相談ください。 電話 090−7992−5236

2009年6月13日(土)
町並み散策と塩炊き体験

 6月に入ってから日御碕、遙堪から町並み散策と塩炊き体験にこられた。7月までに3グループの予約が入っている。昨年は400人が体験されたが今年はそれを上回るペースで体験者が増えている。皆さん大変よろこんでもらっています。鷺の町並みを見ても大したものはないし、塩炊きなんかしてもあんまりと期待はされずにこられたと思いますが意外に面白かったというのが実感かと思う。体験された方たちからの口コミが広まり年々来場者が増えている。

2月に教育旅行モニターツアーが企画され鵜鷺地区もその候補地となり、町並み散策と塩炊き体験について簡単な案内をしました。候補地として出雲大社についで高い評価をしてもらいよろこびました。時代の進歩に取り残された村であるけどよそにないものがたくさん残っていて珍しく、新鮮にうつるのではないかと思う。

 

 町並み散策 ・・・無料
 塩炊き体験料・・・500円/人(お土産 塩1袋 120g、にがり 180cc)
 所要時間  ・・・約3時間
 申込先   ・・・鵜鷺コミュニティーセンター内 鵜鷺げんきな会 安部まで 電話 090-7992-5236

2009年5月29日(金)
神々の座出雲







神々の座出雲 故並河萬里さんの写真展が古代出雲歴史博物館で始まり、今日、午前9時からオープニングセレモニーがありました。

来賓として2番目に並河さんの奥さんが挨拶され、そのあとで、並河さんゆかりの地である鷺浦から小学校の生徒がシャギリを舞ってセレモニーに花を添えました。小学生が格好よく堂々と舞、囃子も上手にできて喝采をあびていました。

古代から続く神々との旅−出雲人の命の讃歌が展示してあります。島根人は厳しい自然に逆らわず自然のままに生き伝統と感性を育み、神と対話をすることにより人間らしく生きていく姿が表現されています。鷺浦で撮られた写真も数々あり、シャギリが一番大きな写真として展示してありました。この写真展をたくさんの人に見て欲しいと思います。

奥さんは鷺浦まで足を延ばす予定は無かったそうですが僅かな時間でしたが寄っていただきお話させていただきました。

2009年5月27日(水)
町探検

4月27日、鵜鷺小学生を鷺、鵜峠の町探検に連れて歩きました。

北前船時代の船宿、蔵、北前船の模型(岡屋)、煙出しある家、塩田屋さんの鶴の鏝絵、塗格子の虫籠窓、間立て、伊奈西波岐神社、文殊院と汗かき仁王、なまこ壁、格子戸、仏照寺、西方寺と龍の彫り物、泥人形などを説明しました。意外に低学年の子も興味をもって聞いてくれたこと、そして全員が礼状を書いてくれたことをうれしく思いました。古い町並みの説明を聞きながら歩くことでいろんな発見があって楽しかったと書かれていました。

自分達が住む町がこんなに素晴らしいところなんだと知ることは大切なことだと思います。ふるさと教育を計画して下さった先生に感謝しています。これまで地区の大人たちはこんな古いところは駄目だ、勉強して都会で活躍する人間になるようにと言ってきたように思います。その結果地元に根をはり、がんばる人が育たなかった。結果として過疎、高齢、少子化へとまっしぐらに進んだように思える。隣りの日御碕地区や河下地区とくらべあまりにもそのスピードが速すぎる。

今日は先日の町探検で分からなかったことに対して5年生、6年生から質問をもらい、それに答えるために学校に行った。質問は

・煙出しのある家の屋号、鷺浦会館のことを詳しく。

・有線の管理者はだれか、間立ては西側に多いのはなぜ?

・伊奈西波岐神社の由来、八千代橋がない時はどうして川を渡った?

・権現さん(柏島)へ女性が上がったらいけないのは何故、空家は何軒あるのか?

かなりの時間をかけて調べ、約1時間の時間をもらい説明した。少し難しい話になったが一生懸命に聞いてくれた。

最後に、鮭が大海原で成長し再びふるさとの川に戻るように、この子等が成長し都会へ飛び出しても再び帰って欲しいとの思いもぶつけておいた。衰退の歯止めをかけなければと責任を感じながら・・・

2009年5月25日(月)
言うは易し、行うは難し。

村にはたくさんの会があります。年度初めの4月、5月はそうした会が一斉に動き出します。昔から引き継がれたもの、必要にせまられてできたもの、行政の要請でできたものいろいろです。

選挙で選ばれた役、頼まれて受けた役、順番で回ってくる役、一つの役を受けたつもりが当て職で有無を言わせずくっついてきた役などがあります。

役は嫌がりなかなか受けてもらえません。年齢、仕事、身体、能力、他の役を持ってる、長いことやってきたなど断る理由はなんぼでもあります。ことわりきれなかった人に役がくっつきます。

また、たいていの会は会費を徴収します。一つ一つは大した額ではないにせよたくさんあるから納める方は大変です。集める労力はもっと大変です。

共同体を維持するとなると半強制で進めないとできないだろうということはよく分かります。鷺浦の人口は179名、そのうち70歳以上が104名で58%になります。 役は大抵60〜70歳前半の男性が担っています。同じ人が何役もこなさいといけません。従って今頃は会の梯子です。 この先いつまでももつとは思えませんが、思い切った統廃合をと言うは易し、行うは難し!!

2009年5月4日(月)
かさおか島づくり海社

NPO法人かさおか島づくり海社の鳴本理事長さんが鵜鷺げんきな会の塩炊きの視察に見えました。2月に講演して頂いた藤村先生の紹介です。先生から笠岡で地域興しに魚の灰干しがされていることを聞いていました。今回、笠岡でも塩を炊いて、その魚の塩に使うとのことでした。燃料の薪は廃棄に困っている石材梱包用木箱を使うそうです。

笠岡諸島の取り組みは3年前からインターネットで、役場の職員が二名専属で島の活性化の支援をされていることや移住者が増えていることを知っており、なにより島づくり海社のネーミングが良いと思っていました。一度訪問したいところだと考えていましたが今日はからずもその理事長さんと知り合いになり、ぜひ来てくださいと招待されました。また、2番目の海社として名前を使ってくださいとも言っていただきました。

 GWの最中、鵜鷺にくるまで7時間(通常なら4時間あまりの距離)要したそうです。午後4時半到着、帰りがあるので説明は30分程度、せっかくなので町並みの案内もちょっとして見送りました。藤村先生が縁でこうした交流ができたことに感謝しています。
2009年4月22日(水)
鷺銅山跡に行ってきました。

祠近くの坑道?


大きな池


石垣状に100m以上に
続いている

古い坑道

鷺銅山跡を訪ねてみたいと思いながら案内してくれる人がなくてなかなか行けませんでした。今日、鹿の角こすり被害調査を兼ねて鷺銅山跡の看板が立っているところから西龍山に向かって登りました。いきなり坑道跡があります。また、露天掘りの跡?とおぼしき穴(径が約10m、深さ約5m)と、そこから少し登ったところに祠跡の石垣、その直ぐそばに坑道跡(縦方向に直径約1m、深さ約10mそこから横方向に伸びている)があります。ここまでは既にわかっていました。そこから鹿被害調査のための杉林を次々とくぐり西龍山に向かって登っていきました。やがて傾斜が緩やかになり、大きな池の前に出ます。池の南側はごろごろとした岩が積み重なっています。よく見ると崩れてくる石を防ぐためなのか?石垣状に高さ約1mに石が積み重ねられ、ほぼ真直ぐに100m以上続きます。
 地面がきれいに土と石域に分かれ、その堺に沿ってさらに登ると西龍山と龍山の裂け目にでます。裂け目を少し登ると堀かけの坑道と、中に入れないように鉄パイプとネットで塞いだ古い坑道がありました。坑道は下に向かって約5m、それから横に向かっています。横に向かうところに測量用の棒が落ちていました。坑道は狭くて、深いので棒が取れず、しかたなく放置されたものと思われます。

三つの坑道を見つけましたがいずれも縦方向に落ち、それから横に向かっているようでした。人が立って歩くことはできない小さなものです。中に落ちると独力で出るのは難しいでしょう。

 郷土史家の梶谷さんは出雲に出土したたくさんの銅剣や銅鐸の銅はこの山から掘られたのでは・・・との説を述べられています。歴史を秘めた山であるのは間違いない。神秘のベールを剥ぎ取ってみたいと思います。これからもちょくちょく登り、新しい発見(自身の)は鵜鷺コミュニティセンターのHPで紹介したいと思います。

2009年4月20日(月)
我慢も限界

掃除の間隔が開きすぎたと思いながら、バス駐車場の簡易トイレの扉を開いた。

酷い!!半分以上も外に出ている。下着を下ろして座る前に出ちゃったようだ。我慢も限界だったのか?拭いた紙まで外に捨ててある。数日経ったようで乾燥してこびりつきなかなかとれない。故意にしたものでなくても“次入る人、掃除する人のことを考えてよ”とこちらの我慢も限界!!と思いながら掃除をしました。

港の東側の便所はマナーの余りにも酷さに例えば汚れた紙おむつまで放っていくなどがあり、ついに鍵をかけた。 結果として個人宅に便所の借用に訪れる人が増えた。この辺の家の便所は座敷を通って奥にあるところが多い。困った客を無碍に断れずなんとかして欲しいという声がでている。

 公衆便所を誰が掃除するかについて数年前に役所に尋ねたことがある。設備は役所で持つが管理は地元でということであった。市街区域にはたくさん公衆便所がある。すべてボランテアーで掃除しているとは思えないのだが・・・ボランテアー頼みのところはどこでも似たり寄ったりかと思う。

 2年前からトイレットペーパーを置くようにした。それだけでずいぶんきれいになった。1年に2ロールもあれば十分で用を足す人は多くないようだ。

 今年から下水工事の詳細設計が始まる。3年後の供用になる予定で先はまだ長い。

便所の汚れは地区の恥!!対応策を考えねばならない。

先日、島大生がつくってくれた“さぎうら町並みガイドマップ”の看板に公衆トイレの場所を記してもらった。“水洗トイレ”と付記してある。現場がわかりづらいので利用はまだないようだ。分かりやすくする工夫と掃除の手間賃を払うようにして気持ちよいトイレをつかってもらうようにしないといけない。観光、レジャーの振興を目指すなら、我慢も限界と思う気持ちは掃わなきゃいけない。反省!!

2009年4月18日(土)
今日の釣果

昨晩の天気予報では今日の波高は1mとなっていたので仕掛けをつくり準備した。そして、今年初めて釣りに出かけた。いつものポイントにシーアンカーを入れた。すると船のすぐ近くで大きな波の音はしたので振り向くとイルカが顔を出し、もぐる瞬間であった。今日の漁は駄目だと思ったがここは水深80m、狙いはアマダイとレンコダイだ、影響はないだろうと仕掛けを落した。いつもは直に当たりがあるが今日はない。餌もとらない、その後何度かイルカが現れた。30分粘ったが小さなレンコダイ1匹がやっとであった。ポイント90mに変えたが同じことであった。次に大きく南東方向に移動、水深70mに変えてみた。型の良いボッカ2匹とレンコダイ2匹が一度にきた。その後イトヨリ3匹、アマダイ1匹なんとか格好がついてきた。今日は午後からは漁止め、風もでたので11時過ぎに切り上げた。写真は今日3時間の釣果である。

5月から遊漁船がはじまる。最低でもこのくらいの釣果が欲しい。イルカが去れば釣果はもっと増えるはず。

2009年4月15日(水)
互助会

今晩、互助会組頭の会(町内の葬儀を仕切る)があり、出席した。会計報告の後に情報交換がされた。

これまでは自宅で葬儀を行う家がほとんどであったが最近は葬祭会館を使うケースが増え、こまでの村のしきたりを変えないと対応できなことが増えてきた。ケースバイケースでよく話し合って対応しようということになった。

 一方、都会から帰って葬儀をする人は斎場に頼めばすべてやってくれると考える人がいる。田舎に親戚がないところが増え、誰も教えてくれない。町内会長や組頭は誰がやっているかも知らない。老いた親を残して都会で暮らす人はいつかこの日がくることを意識して欲しい。親が元気な間に帰って来ては、近隣の人との交流も深めて欲しい。誰に相談したらよいかくらいは分かっていて欲しい。かく言う自分も長らく大阪で暮らし、帰省の折に近所の人との交流など考えもしなかった。他人に言えることではないのだが・・・。 

都会の暮らしでは1軒向こうの人とは挨拶もしない。互助という言葉は死語に近いのでは?

 映画“おくりびと”が話題になっている。
 墓に納骨する際にお手伝いする役を“山取り”という。当日は朝からお墓を掃除して、納骨前には近くで火を炊き、納骨するのが仕事である。山取り役ふたりは組頭が決めることになっている。最近は家で薪を使うことがなくなり、薪の準備にあわてることがある。そこで互助会の方で薪を用意しておくことになった。こうしたことはどこで葬儀をやっても鷺浦の墓地に埋葬するかぎりはおこることである。

 田舎ではいろんなところで助けあって暮らしている。互助のこころはなくしてならない大切なものと考えられるようになった。

2009年4月14日(火)
豊かさが実感

 先週は好天が続きました。海も穏やかに凪いでワカメ刈りが連日できました。 お陰でたくさんの板ワカメができあがりました。売りに出すほどはありませんが自家消費するには余ります。そこで親戚、知人に配りました。そのお返しに昨日はタケノコ、今日は鰤の切り身が届きました。物々交換したようなものです。海や山の恵みを分け合う田舎暮らしのよいところでしょう。金はなくても豊かさが実感できます。

2009年4月13日(月)
赤潮発生

今朝、風は多少あるも、波はまだ高くない。明日炊く海水を汲みに小舟で港の外へ向かった。小豆色した帯状のものが流れている。赤潮である。そんなに大きくないものの今から発生したことで不気味さを感じた。好天が続き、4月の初旬から日本の各所で夏日がでた。地球温暖化の影響が年ごとに大きくなるのが実感できる。この大不況で産業活動は落ち込み、結果としてCO2の発生は抑えられる。人間にとっては大変なことでも、地球にとってはいいことかも知れないと不況の影響が少ない田舎の住人は考えたりする。

今月から十六島にできた“ウインドファーム”(風力発電)の電力供給が始まった。1基 3,000kwもあると聞く、26基が一斉に回る姿は壮観である。化石燃料からの脱皮が1日も早くできることを祈る。

2009年4月12日(日)
Mr MARK DELL’ISORA

MARK DELL‘ISOLAさんが3ヶ月鷺浦の住人として岩見屋で暮らすことになりました。彼は鷺浦の町並みや岩見屋を大変気に入ってくれました。鷺浦で暮らす初めての外人で、話題の人になることでしょう。

彼はアメリカ人で画家です。滞在中に2枚の絵を描く予定だそうです。彼から印刷された絵葉書大の絵をいただきましたが素養の乏しい私にはピカソの絵と同じく良さが分かりません。(実物をみればすごいと思うかも知れませんが)良い絵が描けることを期待しています。

また、地区の人との交流が深まるとよいと思いますが、彼は日本語が話せず、住人は英語が話せません。どんなことになるのか珍事がたくさん起こるのでは・・・、楽しみです。

今日、話した(菊川嬢が通訳)感じでは柔和な紳士であると感じました。鵜鷺の皆さんよろしくお願い致します。

2009年4月11日(土)
カジカ蛙が鳴き始めました

八千代川の桜が満開になるころからカジカ蛙が鳴き始めます。今週は晴天で暖かい日が続きました。桜が散り始めた今日(4月11日 午後7時半)確認のために川に行ってみました。げんきな鳴き声が聞こえて喜びました。7月一杯まで涼やかな声で鳴き続けるでしょう。

2009年4月10日(金)
やるせない思い

鵜鷺小学校は児童数10名の小さな学校です。3月19日、3年振りに卒業式がありました。たった一人の卒業生でした。そして昨日(4月9日)、入学式がありました。たった一人の入学生でした。小学生の数は何人でしょうか?10名のはずですが実際は8名です。転校生が2名出たからです。高校に進学したお兄ちゃんが鷺浦にいたら部活で遅くなると通学の足が無くなるからです。家族5人が町に引っ越ししました。これまで同様な理由で町に引っ越すケースが多々ありました。子供の通学の問題で過疎化が進む大きな理由です。 

通学できたとしても時間がかかる、交通費の負担が大きいなど大きなハンデイーがのこります。せめて高校生までは通学定期は無料などの施策があればいいのですが・・・

公共投資は都市部からはじまり、中山間地にまわってくるまでに時間がかかりすぎ人口減少に歯止めがかからなくなった。効率一点張りの施策を長いことやった結果として地方が疲弊し、東京一点集中が進んだ。今、東京に大地震がおこれば日本はどうなるだろうか?十分な備えがあるとは思えないのですが・・・

竹下 登 前総理の“ふるさと創生”はどうなったのでしょう・・・

やるせない思いがしております。

長い時間がかかるが歯車を逆に回すことが大不況を乗り切る処方箋になるのでは・・・

2009年4月5日(日)
教育旅行モニターツアーの結果にびっくり

 2月26日のブログに教育旅行モニターツアーのことを書きましたが,先日、参加者の皆さんにアンケートがなされ、その結果にびっくりしています。

 今回の視察先で、教育旅行で行程に入れてもよいと思われる施設はどこでしょうか?の問いに 参加者 10名の中でトップが出雲大社の9名はわかりますが、次に鷺浦(塩炊き、町並み)が8名で古代出雲歴史博物館や一畑薬師と同じランクになっています。日御碕灯台が4名、木綿街道 1名の結果からすると評価尺度が変わってきていると感じます。旅行の目的が見る→する→知るに変わってきたことと関係があるように思います。北前船の著者、加藤貞二さんが“北前船の寄港地で鷺浦ほど昔日の姿をとどめているところはない。将来、鷺浦は観光地になります。町並みを保存するように”と言われたそうです。地元が思う以上に価値があり、料理次第で立派な観光地にできそうだと改めて思います。

今後の教育旅行で行程に入れてもよいと思われるっ施設はどこでしょうか?
  (複数回答:可)  回答者 10名
    施  設       回答者数 
出雲大社(ガイド付き) 9名
古代出雲歴史博物館
鷺浦(塩炊き、町並み)  
一畑薬師
8名
島根ワイナリー(食事、工場見学) 6名
観光センターいずも(食事、売店  )
ゴビウス(汽水湖)

グリーンパーク
(エコツーリズム、体験)
5名
日御碕神社
日御碕灯台と遊歩道
荒神谷遺跡と博物館
4名
旧大社駅
青少年の家サン・レイク(宿泊、体験)
3名
西谷墳墓群 2名
しまね花の郷
マリンタラソ出雲(宿泊、タラソテラピー)
木綿街道の町歩き
1名
2009年4月1日(水)
鵜鷺警官詰所開所式

島根県警では過疎地駐在所の統廃合が進められ大きな社会問題となった。

鵜鷺駐在所は数年前から警察官不在であった。当地区も鵜鷺駐在所を廃して日御碕駐在所に統合し、建物自体も古いので解体したいとの意向が示され、大きな問題となった。地区の意向は駐在さんを復活して欲しいと考えており、建物さえもなくすことに絶対反対の立場で話が進んだ。話し合いは平行線をたどり、ついには市議を通して出雲市まで働きかけようやく残すことに決まった。警察官が不在であるのに”駐在所”の看板はおかしいので“出雲警察署鵜鷺警察官詰所”の看板に取り換えられた。

今日は詰所の開所式があり、出雲警察署長と鵜鷺地区駐在所連絡協議会会長の手によって看板が取り換えられた。夜は赤い門灯と事務所の灯りがともり、過疎の村として切り捨てられるのではとの思いが払拭された。

日御碕駐在さんが兼務として毎日パトロールに来られている。市警のパトカーがこのところよく見かけるようになった。
 地区として毎月1日は交通安全の日として街頭に立つ、週2回子供を学校まで連れ添っていく、毎月14日は安全、安心の日として幟をたてる、外灯を青色蛍光灯に変えるなど防犯には積極的に取り組んでいる。安心、安全は黙っていては保たれるものではない、自ら行動することが大切であると痛感している。
都会でも住民自らこのような活動をすれば犯罪は相当抑止できると思うのだが・・・

2009年3月25日(水)
遠来の客

 3月25日神奈川県茅ヶ崎からKさんご夫婦が鷺浦まで遠路訪ねてこられました。御主人は写真、奥さんは古民家を訪ねることが趣味とのことです。 御主人は写真展を茅ヶ崎で開いたり、“協会のある風景”の写真集(東京経済)出版など活躍されています。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806406538/sigil-22/ref=nosim

 昨日、日御碕の民宿で泊まり、今朝早く鷺浦に来られました。昨夜から雨がふり明け方は雷まで鳴って大荒れの天気が心配でした。朝は小雨が降る中、傘をさして寒さで震えながら鷺浦の街中を半分案内しました。写真が撮れないので天気の回復をお茶飲んで待ってもらい、やみ間を待って出かけることにしました。青空が見えたので出かけるとすぐに雨が降り出し、とうとうシャッターが切れないまま、次の予定の鵜鷺コミュニティセンター2階資料室、鵜峠、猪目へと案内して昼となりました。出雲文化伝承館内の羽根屋までそばを食べにでかけました。食べ終わるころから日が射すようになって鷺浦まで引返し、晴れ間、晴れ間を待ってなんとか撮影が完了したうようです。

 歴史があり、海と古い町並みが素晴らしい、特に東側墓地から見た赤い石見瓦が続く町並みが良いと言っておられました。どんな写真が撮れたのやら!
 “鵜鷺の応援団”結成があればその一員になりたいと言っていただきました。感謝!!

 最近鷺浦を訪れた藤村望洋氏、菅谷由美子氏、教育旅行モニターツアー参加の皆さんいずれの方からもお褒めの言葉を頂きました。灯台もと暗し、この町にもっと自信をもってアピールしたいと思いを強く持ちました。

 3月29日(日曜日)11時から“さぎうら町並みガイドマップ”看板(島大美術部デザイン)の序幕式があります。島大生の協力に感謝!!

2009年3月15日(日)
勉強になりました

 311日は美保関笹子のわかめ養殖の見学に行きました。

 ここでは1漁家約5,000m養殖を行い今は刈り取りの最盛期であった。北西の季節風を防ぐ島影にロープは設置されていた。北東の波が荒い時は碇がきれその都度修理が必要とのことで自然相手は大変なことを改めて感じた。 

作業場は港から離れた海の見えない山裾にあり、わかめの洗浄は谷川の水を使うなどの工夫がされ、6〜8人の女性が午前中わかめの乾燥作業、午後からは前日乾燥を終えたものの包装作業をしていた。30g/袋のものがおよそ1,000袋できるとのことであった。鷺浦と同じ個人経営であるが規模は数倍、作業効率においても開きが大きいことが分かった。以前は途中から輸入ものによって値崩れがあったが最近は輸入ものが敬遠されて値崩れはないのでほくほくの状態とのこと。大変参考になりました。

夕方から別のグループに加わって高速船レインボーで隠岐の海士へ渡りました。

314日はなまこの干物、岩ガキの養殖、塩の生産、隠岐牛の飼育現場をのぞきました。見学に先立ち海士町の山内町長から30分話を聞かせていただきました。日本で地域づくりのトップを走る人の話は穏やかな話しぶりの中にズシンとくるものが多々ありました。はからずも前の晩は町長経営の民宿に泊まっていました。我々が朝飯を食べる前(午前7時半)に挨拶されて(その時は誰かわかりませんでした)もう仕事に出かけられました。これが毎日のスタイルだそうです。“離島発 生き残るための10の戦略” 山内道雄著を読みました。金がない、人材がない、僻地であることを理由にもう駄目だと思うまいと思う気持ちが強くなりました。

2009年3月10日(火)
魅力ある町(観光)づくりの鍵は”人”

 39日 出雲市役所新庁舎 くにびき大ホールに於いて 出雲文化観光学院講演会があった。

第1部    地域活動事例発表
@    木綿街道商業振興会   来間 久  氏
A    神迎の道の会      青木 敦生 氏
B    鵜鷺げんきな会     安部 勇

第2部   
菅原由美子氏講演 

第3部    意見交換会

 菅原氏の話が非常に参考になりました。

 これまでの観光と、これからの観光の違いとして
 多様化 最近は中高年の男性(独り)客が増えている
  知的欲求の高まり=“見る”から“する”へ。“する”から“知る”へ。
  複合化+深化=「単に見る」から「暮らすように旅する」へ
  ハード(箱物=モノ)からソフト(ふれあい=人)へ
  観光客から交流人口へ  観光客=一方通行  交流人口=相互通行  “客間観光“から”居間観光“へ
<客間観光:一見の客>  
受け入れ側=上げ底、ぼったくり  利用者側=旅の恥はかき捨て
<居間観光:リピーター>
受け入れ側=(家族同様の)もてなしの心  利用者側=礼節、マナー、暮すように旅する

一朝一夕ではできない“人”づくり
・箱物は1年あればできるが人は1年や2年ではできない。
・行政は箱物に予算をつけるが人や景色に予算をつけない。新しく道路をつくってはかけがえのない景観を壊している。

わがまち再発見  わがまちをよく知り誇りに思うこと
“三本の矢”に習う協力・連携の強み  女性の活躍が成功の鍵

観光地域づくりは「まちづくりの総仕上げ」
・地域住民が愛し、誇りを持って暮らしていない地域に、人(観光客)を惹きつける魅力はない。根っこがないテーマパークはことごとく閉鎖

“100年を見据えた観光・まちづくり”
“たまたま残った”から“積極的に残した”へ

人は重要な観光資源の一つ

 昨年暮れに鷺浦へ見えられたそうです。“たまたま残った”ものを“積極的に残す”ようにアドバイスをいただきました。後でその方法について質問をしました。現状では難しい課題であり時間がかかりそうです。

2009年3月6日(金)
魚が食べられなくなる?

 漁師さんの年齢構成の国勢調査データを出雲市から出してもらって調べた。今年のデータはまだないが5年前から遡って調べた。
 30年前、出雲周辺の漁師さんの数は1162人、5年前に半分以下の527人に減っている。そして高齢化率は50%にのぼり、あと5年すれば75歳を超えて体力的に漁に出るのは厳しくなるからさらに半分に減り250人くらいになると予測できる驚くべき数字がでた。
 食卓にのぼる魚にはたくさんの養殖ものがある。養殖の魚は狭いいけすの中でたくさん飼うので病気になりやすい、そのために抗生物質が欠かせないときく。安心して食せるとは思えない。 また、養殖の餌用にたくさんの小魚をとるので天然の魚の餌となるべきものがなくなり魚が育たない。
 また、大型漁船の乱獲によって漁獲量は減り、海外品との競合により魚価は落ち漁獲高は低迷している。今は落ち着いたが燃料の高騰で経費がかさみ3重苦の状態でになっている。
 漁師さんが減ったのは漁では生計がたてられないからでこのままでは天然の美味しい魚が食べられなくなる日は遠くないように思えるのだが・・・

 漁村の再生も難しい課題である。
 政局争いなどしている暇はないと思うのだが・・・
 

漁師さん人数の推移(国政調査)
大社 佐香 北浜 出雲 湖陵 多岐 合計
昭和53年(1978 374 321 348 30 12 77 1162
昭和63年(1983 277 289 288 35 37 87 1013
平成5年 (1993 208 236 259 22 31 61 817
平成10年(1998 188 178 189 16 23 37 631
平成15年(2003 158 152 158 4 16 39 527
平成20年(2008

30年前の漁師さんの年齢構成
年 齢 大社 佐香 北浜 出雲 湖陵 多岐 合計   備 考  
15-19 2 6 6 1 0 0 15
20-24  2 15 6 1 0 0 24
25-29 19 30 20 3 1 1 74
30-34 19 26 31 2 3 5 86
35-39 25 29 32 4 1 7 98
40-44 56 50 58 3 2 12 181
45-49 76 48 64 3 0 11 202 一番多い
50-54 47 44 40 7 1 12 151
55-59 39 18 34 4 1 6 102
60-64 30 18 28 1 1 8 86
65- 59 37 29 1 2 15 89
合 計 374 321 348 30 12 77 1162


5年前の漁師さんの年齢構成
年 齢 大社 佐香 北浜 出雲 湖陵 多岐 合計   備  考 
15-19 3 0 0 0 0 1 4
20-24 2 0 0 0 0 0 2
25-29 1 0 0 0 1 1 3
30-34 1 0 1 0 0 2 4
35-39 2 0 4 1 0 1 8
40-44 1 1 5 0 1 2 10
45-49 3 7 5 1 1 0 17
50-54 17 25 11 0 2 3 58
55-59 17 23 28 1 6 4 79
60-64 23 22 28 1 0 7 81
65- 88 74 76 0 5 18 261 一番多い
合 計 158 152 158 4 16 39 527
2009年2月28日(土)
鹿との共生


弥山山系に約500頭の鹿が生息している。畑の作物の食害は防護ネットなどにより、被害は大分抑えられているが山の中の木々となるとそうはいかない。広大な広さと急傾斜ではとてもじゃないけどネットなど張れるものではない。杉とかヒノキの皮が鹿の角でめくられ痛々しい。被害調査員として昨年から毎月太々山を中心に調査をしている。2月の被害は新しい杉の木が7本、古いものが5本あった。大きなものは直径40cmでようやく抱えられる大きなものであった。皮が剥かれるとそこから腐っていって売り物にならない。何十年かけて生育したものが一時でおじゃんとなる。もったいないというか、悔しいというかそんな気持ちになる。

柿や椿の木の皮が食害にあって枯れているものを何本もみている。

先月、家の裏に大根を乾していたが漬けようとしてみると全てやられたといった話を聞いた。我が畑の防護ネットが倒されブロッコリーが全滅した。被害額は大したものではなくても払った努力に怒りは治まらなくなる。

餌場造成と頭数管理によって被害をなくす計画があるが鹿との共生はやさしいものではない。今日猪を見たという人にあった。昨年猿ときつねを見た。鹿以外の野生動物も増えだした。松の木は松喰い虫に食い荒らされ無残な姿を曝している。

 中山間地の住民の高齢化が進んだ今では再生は並大抵じゃない。都会に住む人は捨てて出てきなさいというかも知れない。地方が衰退を続け、崩壊していっても日本は発展していけるだろうか?

中山間地の再生をあきらめてはならない!

2009年2月26日(木)
教育旅行モニターツアー

 出雲に修学旅行誘致を目的に教育旅行モニターツアーが昨日(2月25日)から3日間の予定で行われています。昨日は出雲大社、古代出雲歴史博物館、日御碕など、今日2日目に出雲ドーム、鵜鷺コミセン、島根ワイナリー、西谷墳墓群、しまね花の郷、多岐キララコテージを回り、夕刻に交流会がありました。明日は木綿街道、ウインドファーム、一畑薬師、サンレーク、ゴビウス、グリーンパークス等が視察されます。

出雲に修学旅行を誘致する上では交通、宿泊でのキャパシティ不足が一番大きな問題点として指摘されました。そして、素材はいいけど見せる工夫が足りない、メッセージが伝わってこない。モデルコースというものがない。交通機関のアクセスは?学習指導要領に基づく見学、体験の視点がない等々厳しい意見が出されました。30年前の修学旅行のイメージから抜け出ていないのではとの厳しい言葉までありました。

日本各地で誘致合戦が行われており、初挑戦した出雲にとって障壁は高く、これまでの出雲の観光行政の未熟さが露呈しました。また、ハードを中心にした箱ものからの脱却ができてないのでは?古代出雲歴史博物館さえメッセージが伝わってこないと・・・

“鵜鷺地区は印象深くよいところだと感じたが整備ができていない”とのコメントを頂いた。整備が意味するもの、まず足(バスの便が少ない)宿(旅館、ホテル、民宿がない、水洗トイレでない)食(食事の提供ができない)など基本的ことの他に、観光マップ、チラシ、ガイドと体験指導者の専門性、ホスピタリーなどソフト面でも足りないものばかりである。

 先日、九州グリーンツーリズム大学の聴講生として、また、田舎ツーリズム推進大会 in 雲南に参加していろいろ学びました。ターゲット、コンセプト、メッセージを明確にする。また、ガイドするとき“つかみ・導入”、“発展”、“まとめ”など習ったことを強く意識してガイドすればもう少し好印象をもってもらえたのにとの思いを持ちました。

2009年2月19日(木)
松喰い虫防除について

 今日、松喰い虫被害対策地区連絡協議会があった。昨年、薬剤空中散布時目に異常を訴える者が1,000人以上もでた。有識者による検討会議の報告からは明確な因果関係は特定できないものの出雲市は「安全性が保障されない限り、空中散布はできない」として平成21年度から10年間薬剤の空中散布はしない方針が示された。

 森林が持つ多面的機能を持続的、安定的に維持保全する目的で下記事業が示された。

1.    予防事業:薬剤樹幹注入

2.    駆除事業:特別伐倒駆除

3.    森林再生事業:抵抗性松苗の植栽・広葉樹の植栽による樹種転換・どんぐり等の播種

4.    治山事業:暴風柵の実施

5.    被害の監視・調査事業:地上、航空機、船舶等からの被害調査

6.    啓発事業:緑のレンジャー隊の組織化と活動支援

 毎年、空中散布をやっても松枯れは発生している。エンドレスに続けるよりも今は金がかかるかもしれないが健康被害のない森林の再生を目指す方向に賛意が示された。

抜本的な対策に敬意を表したい。一方、松の木を守る目的は経済効果、景観、防災(防風、傾斜地の崩落)が主なものであろう。安い輸入材によって国産木材の経済効果はないことから、景観保全と防災が目的になる。それは松の木でないと駄目なのか検討すべきことだと思う。

浜山には26,000本の松があり、これまで毎年800本を薬剤樹幹注入してきたが今後6,000本に増やす(薬剤効果は4年)と説明を受けた。これほどたくさんの松が必要なのか?松以外の樹種はだめなのか?まだ検討する余地は残っていると思う。

 鵜鷺地区の民家に近いところの空中散布は中止されて松はほとんど枯れてしまった。はげ山になるかと思えばまたたく間に雑木が生えて緑がなくなることはなかった。そこに行くと小さな松がすくすく成長しているのが見える。枯れる前に松はちゃんと子孫を残していたことがわかる。雑木の中に松がある自然の姿で復活しつつある。自然の再生力を信じて必要以上のことはしないでと願っている。

2009年2月18日(水)
漁村講演会について

 3月14日(土曜日)藤村望洋氏を招いて鵜鷺コミュニティセンターに於いて講演会を開く計画が動きだしました。島根半島西の漁村地域の住民が対象です。

 農村もそうですが漁村の疲弊は相当なものです。漁師の高齢化は進み後継者がまばらな状態は鵜鷺地区に限りません。

一本釣り漁師(この辺りはほとんどがそうである)個人の力で生計を立てるのは難しいと思います。 それは漁獲は減るのに魚価は上がらず、燃料が上がり(今は落ち着いているものの)、経費はかさむ一方で経営はますます厳しくなるばかり。最近、温暖化による海の変化も気になるところです。

漁は先に獲ったものが勝ちの厳しい競争の社会であり、自分の利害に敏感で共存、共栄は難しい世界でもある。長老漁師が幅を利かせ、昔からのしきたりが強くのこり、新しいことに対して抵抗感が強く、画期的な取り組みは承認されにくい。

一方で自分の子供を漁師にさせないことからも漁師自身が一番将来を悲観しているのがわかる。漁獲高1,000万円あれば話は変わってくるのだが・・・

漁村は外部に対して地理的に山を背負い、交通の便が悪くて閉ざされたところが多い。平地は狭く、人口も少ないことから行政の支援も受けにくい。

こうした漁村に住む人が集まり、勉強会をしようというのが今回の企画である。成功事例に学び、知恵を持ち寄り連携して新しい漁村つくりを始めるきっかけにしようとの考えから行政に働きかけ動きだしました。

2009年2月15日(日)
NATO廃絶

宿泊の予約がすでに5件入ってきた。千葉、大阪、滋賀、山口、島根各地からインターネットを見たとか口コミで聞いたのでと言って申し込みがある。昨年の今頃は予約など一件もなかったことを思えば動きがでてきたということである。“鵜鷺げんきな会”のHPのアクセス数はなかなか伸びなかったがもう直ぐ10,000件に達する。この一年で7,500件も伸びている。鵜鷺に行ってみたい、宿泊したいと思う人があっても不思議ではない。インターネットのすごい力を感じる。

今日も半日柿の木の選定作業の実地講習にいってきた。一本の柿の木(20年生)に約250個の実が採れるそうで、40本あれば10,000個、干し柿にして1個100円とすれば百万円になるなーと捕らぬ狸の皮算如を始めた。
 先日スーパーの生産者コーナーに置かせてもらった干し柿200個は直に完売した。あまりにも美味しかったので100個欲しいと注文の電話が入った。今年はもうないのでと丁重に断ったが明るい見通しが立ったとよろこんでいる。

NATO廃絶 “No Action Talk Only これは九州ツーリズム大学で聞いた言葉である。動くことで状況は変わってくるし、口だけ動かしていては何も変わらないことを実感している。

2009年2月13日(金)
選挙が近づいて

出雲市が新市に移行してもうすぐ4年、合併の功罪が問われるところである。しかし、一般市民は全体を判定するデータはなく自分の住む地域が従来と比べてどうだったか考えるしかない。よかったところと悪くなったところの公平な評価が知りたいところである。市長や議会の仕事の成果が評価される。

市長並びに市議会議員の選挙にむけてた動きが活発になってきた。後援会入会を頼みに親戚、知人がやってくる。断るわけにはいかず全て入会するのが暗黙の了解となっている。

後援会のしおりに書かれている内容は美しい言葉で飾られているが具体性に乏しく、公約を見ても五十歩、百歩で誰に投票してよいかわからないのが常である。

最近、政治家個人のブログに目をとおすようになった。ブログを見るとその人の日常の具体的な言葉から真の抱負や信条が見えてくる。アクセス数の多い人はそれだけ支持者がいるということで普段からしっかり政治活動がされている結果の表れである。選挙前になってあわただしく動きだす人との違いがでてくる。

親戚や知人に頼まれて投票するのではよくならない。立候補者のブログ(全員は無理としても)を見て判断するように投票行動が変わると議会は変わると思う。

阿国座問題で振り回されるのはみっともない。信条、信念はどこにあるかと問いたい。建設に賛成したならあくまで賛成を貫き通して、市民の審判を受けて欲しい。

2009年2月10日(火)
九州ツーリズム大学聴講 その1


九州ツーリズム大学 2月講座に昨年につづき聴講生として参加した。湯布院での2泊3日は豪華な研修で、得るものがたくさんあった。

湯布院は今では日本で一番人気の温泉地であるが昔から栄えていたのではなかったという。湯布院盆地は水はけがわるく田圃に牛を入れると足が全部浸かってしまい動けなくなったという。田圃の仕事は全て人の力であり、イバラの木に登ると同じほど婿に来た人はつらい思いをしたそうである。

また、ダムの計画に否を叫ばねば今頃は水の底に沈んでいたという。ゴルフ場やサファリーパークの建設、高層リゾートホテルの建設など自然との調和を壊す計画が次々とやってきたし、今も形を変えてそぐわぬものが進出してくるという。

現在があるのは先人のたゆまぬ努力の結晶であり、豊かな自然が何もしないのにもたらしてくれたものではないことを知った。ドイツから学んだ100年、200年を見通す都市計画がバトンタッチされた若い人に伝承されているように交流を通じて感じた。

辻馬車の佐藤さんが独特の語り口で湯布院の見どころをガイドしてくれた。楽しく、充実した気分になった。
 
 山田桂一郎(
JTIC.SWISS 代表/観光カリスマ)の講義に

・案内するスタッフによって大きく満足度が 左右される。

・「人は人によって感動し、更に満足して人 に伝わる」

・良いエコツアーをたくさん経験する!

  その通りのことを経験させてもらいました。
   感謝! 感謝! 感謝!

2009年2月9日(月)
九州ツーリズム大学

 2月7日から2月9日の3日間九州ツーリズム大学 2月講座の聴講生として昨年につづき参加しました。
1997年から毎年9月〜3月の間開校されています。詳細は財団法人「学びやの里」
 湯布院という素晴らしい場所と著名な講師人からたくさんのことを学んできました。 今日は具体的なことには触れませんが後日報告したいと思っています。
 

2009年2月5日(木)
わかめ養殖

 今年度からわかめ養殖が15年ぶりに再開された。
 わかめの養殖は種の管理に多大の手間がかかり、採算面でも厳しい状況であって、漁業者の高齢化と相まってひとり抜け、二人抜け鷺浦ではついには誰もやらなくなっていた。他地区でも同様なことが起こり、結果としてわかめの値段が高くなりつつあることや養殖技術の進歩により種の培養が簡単にできるようになってきたと県の担当者から説明を受けた。
 また、高齢化が進み今更という地区が多いそうだ。
 そんな話を聞いて鵜鷺で何とか再開できないかと検討されて3軒が鵜鷺わかめ組合を結成した。今年から50mの試験栽培が始まった。
 今日は成長具合を確かめ、大きく成長したものを少し刈り取った。長さは1.3mも伸び順調であるがまだ昆布のように幅は狭く、厚みもない。10日後に再度刈り取ることになった。
 なまで食べてみたが味は上々。産業のひとつに成長してくれることを願っている。 

2009年2月4日(水)
墓地公園に向けて

 鷺浦東側墓地の法面が崩れる恐れがあるために崩落防止工事が行われている。2月27日に完了する予定である。
 これまでは法面に生えていた雑木によってお墓が見えなかったがよく見えるようになった。逆にお墓に行く道からの眺望は海から集落全体が一望でき、素晴らしい景観が現れた。
 工事が終わるとつつじや桜の木を植えて公園墓地にしようと関係者と話している。
 

2009年2月3日(火)
柿チャレンジ講座

 昨年12月から1年間に亘って出雲市アグリビジネススクール柿チャレンジ講座を受講しています。

 廃れてしまった干し柿つくりにチャレンジしようと思い 立ちました。桃、栗3年、柿8年といいますが現在65歳の自分にとっては遅いのではとの思いが強いのですが・・・
 実際は柿の苗木を植えてから3年で実をつけ、4年目から採れると習いそれならなんとかと思っています。

 昔の栽培はやらずぼったくりで実を採るだけでした。たくさん実をつけた翌年は実をつけない。これが繰り返されていました。実も小さく不揃いでした。
 現在は技術が進歩して毎年大きな実を採ることで安定した収入が得られるとのことです。施肥、剪定、消毒、摘果をきちんとすることが必要です。

 1月は剪定の仕方を教わりました。
樹勢が弱いものは強剪定(枝を思い切り落とす)強いものは弱剪定(枝を切らずに残す)して樹勢をコントロールする。翌年の新しい枝が15cm程度に揃うことが理想と習いました。
 指導を受けながら他の生徒さんとともに剪定作業を行いました。2年、3年先を見越しての剪定作業は簡単ではありません。迷い、迷い2本の柿木の剪定を午後いっぱいかかってやり終えました。

 ものごとなんでもそうですが王道はありません。地道に一つ一つやるしかないことを改めて思いました。
 

 大阪の島本町からIターンしてきた人と一緒になりました。高槻市からUターンした人も参加しています。農業の後継者がいない中で大きな戦力となると思います。
 世界を覆う大不況のなかで田舎へ回帰の動きがでたことはうれしいことです。

2009年2月1日(日)
しまね田舎ツーリズム推進大会 in 雲南

 しまね田舎ツーリズム in 雲南に鵜鷺げんきな会のメンバー5人で参加しました。
 100人を超える人が集まり事例発表や講演を聞きました。また、地元の料理を持ち寄り、味わう交流会がありました。
 鵜鷺げんきな会もおろし大根のなかに岩のりやナマコを入れた料理を提供して交流を深めました。
 
事例発表
 山王寺棚田実行委員会(大東町)
 山王寺棚田は「日本の棚田100選」に認定を受けたところです。 棚田を活用した町起こしをされています。

 槻之屋振興会・なでしこ会(木次町 )
 農家レストランを春と秋に開催、近郷から170名の参加があったとのこと。

 しぶきの郷むえ(三刀屋町) 
 出雲アーケード市に農産物販売やよそがしてない交流事業(笹巻きつくり、田んぼのあぜ道でお茶タイムなど)田舎魅力満喫ツアー(参加費 3500円)が大好評とのこと。

 いずれの地域も所帯数が40戸に満たない少子高齢化した地域をなんとかしようとする取り組みであり、鵜鷺げんきな会と目指すものは同じであった。
 山王寺の高島さんから海と山の交流の申込があり、喜んでお受けしたいと名刺の交換をしました。

 食文化を通じたツーリズムを演題に永田麻美(地域開発コーディネーター)の講演
 北海道と沖縄を除けば田舎は似たようなもの、その中で違うのは人である。旅で一番大事なものはその土地の人の印象が風景とともに思い出となって残る。
 次に舌の記憶、食事が美味しくないと行きたくないと印象が悪くなる。 料理は目で見て舌で味わい頭で納得する。
 農家の蔵にはすごい器が残っている。素材が良い、昔からある郷土料理には存在理由があり、それが物語であり、頭で納得する美味しさである。
 田舎と都会の人を結びつけるポイントが幾つも聞くことができた。

 島根県地域政策課地域振興室 
 定住・中山間グループリーダー 石川氏の開会の挨拶の中で115団体180施設が生み出す経済効果は4000万円あるとはなされた。
 一団体当たりにすると40万円に満たない。田舎ツーリズムを生業として営むには壁は厚い。当グループの宿泊、体験での経済効果は平均的よりもう少しいいが採算的にはマイナスである。
 しかし、地域の誰かにこのお金が落ちているには間違いないのでそのまま経済効果を受け入れたい。

 地元料理を持ち寄った食事会は30分で食べきりなくなりましたが良い交流会になりました。
 雲南市の皆様ありがとうございました。

2009年1月30日(金)
干し柿の販売

 昨年の秋に鵜鷺の干し柿を台湾へ輸出したい!なんとかならないかと出雲市のY氏から連絡があったがモノがないので今年は揃わない、来年度から対応したいと返事した。
 20年くらい前までは柿の生産、出荷がなされていたがなにせ柿の木は険しい山に植えられており、高齢化が進んで木の手入れは勿論実を採ることさえままならくなった。今では柿の実がたわわになっても誰も採らずに熟柿になって実を落す木がたくさんある。
 採って干し柿にする家はあるものの自家消費されて販売に回るものはほとんどない。販売ルートもない。
 鵜鷺の柿は潮風をあびるからか甘くて美味しい、しかも無農薬であることから高く評価され生産の依頼を受けている。 どのくらいの値段でどれだけ売れるか具体的な話までには至ってない。本年は試作品として作ってみた。
 出雲市で3回、8人に試食してもらったところ、美味しいこれなら売れると絶賛してくれた。
 施肥、剪定、摘果など手入れが不足して大きさがばらばら、とりあえず今年は200個を1級、2級に分けた商品(写真)を用意し販売してみることにした。
 生産組合を立ち上げ鵜鷺のブランド品に育て産業のひとつにしたいと考えている。
 

2009年1月29日(木)
味工房あかつき製味噌

 安来市広瀬町西谷地区の味工房あかつきさんへ塩を30kg送りました。
 昨年は20kg、その前は10kg送っています。この塩を使って味噌を作っておられます。普通の塩と博多の塩と鵜鷺の塩をつかった味噌の味くらべをされ鵜鷺の塩が一番まろやかでおいしいとの評価をいただきました。
 秋のイベントで販売したところ好評で完売したとのことです。この味噌は鵜鷺の塩と一緒に古代出雲歴史博物館のカフェ”阿礼”の料理にも使われています。
 昨年、藻塩が試され、今年は全部藻塩が注文されました。
 中身を変えた鵜鷺の塩が評価されたことを大変うれしく思います。
 ご愛顧ありがとうございました。

2009年1月28日(水)
ブログ始めました

 鵜鷺げんきな会HP管理人の安部です。
 今日からブログを始めました。よろしくお願い致します。
 鵜鷺げんきな会の活動内容とか鵜鷺のできごとなど意見も交えて書き込みしていきます。
 皆さんからのご意見も聞けるようにしたいと思っております。よろしくお願いいたします。

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