サイト管理人のページ プロフィールはこちらクリック
サイト管理人からのお知らせや見解など

 2012年5月1日 管理人
 また「墓石安全論」 群馬・藤岡市での関越道バス事故

 4月29日午前4時40分ごろ、群馬県藤岡市の関越自動車道藤岡JCT付近で、高速ツアーバスが防音壁に衝突、7人が死亡39が重軽傷という、重大事故が発生しました。群馬県警はきょう運転手を自動車運転過失致死傷罪容疑で逮捕しました。この事故は果たして「運転手の過失」で済まされる問題でしょうか。
 2000年、道路運送方が「改正」され、参入規制が免許制に緩和され、貸し切りバス事業者は、ここ10年間でほぼ倍増し、過当競争で零細業者の経営基盤は劣悪となり、そのしわ寄せが今回の一人乗務につながったと言えます。
 国土交通省は「1日9時間勤務で、670`まで一人乗務」と規定しています。マイカーでも670`(東京から岡山)を一人で走ることは至難の業と言えます。お客さんを乗せて走る、休憩はままなりません。まして夜間の運転です。
 「逮捕」されるべきは、規制緩和を図った「政治家」ではないでしょうか。国土交通省は「指針の見直しを行なう」としていますが、死者が出ないと安全対策がとられない、「墓石安全論」はこれくらいにしてもらいたいものです。
 群馬県藤岡市での事故、他人事とは思えず、「筆」をとりました。(管理人)
 2012年4月29日 YOMIURI ONLINE 読売新聞 群馬
 日航が350万円慰霊の園に寄付

 520人が犠牲になった日航機墜落事故の慰霊行事を行っている財団法人「慰霊の園」(理事長・神田強平村長)の理事会が28日、村役場で理事7人が出席し開かれた。日本航空からは大西賢会長が出席、2011年度の収支報告で、日航が350万円の寄付を行うことが報告され、12年度に1100万円が繰り越された。12年度の慰霊登山など事業計画について、日航側から「引き続き応分の寄付をしていく」との説明があった。
                      (2012年4月29日  読売新聞)
 2012年4月14日 管理人
 「おすたか 95号」(4月12日発行)が届きました

 日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被災者家族の会(8・12連絡会)機関紙、「おすたか95号」(2012年4月12日発行)が届きました。

ページの最後(71頁)、「事務局便り」の一文を掲載しておきます。
 日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故から26年、昨年の8月11日に、群馬県上野村で恒例の灯篭流しが行なわれた。墜落現場の御巣鷹の尾根のふもとに流れる神流川には、遺族の他、福島県から群馬県に避難する東日本大震災の被災者9名も参加。
 また、遺族の要望を受け、事故調査報告書の解説書を作成した運輸安全委員会から事務局長ら4人が初めて参加。犠牲者を悼み、空の安全を願いました。

「解説書」は当サイトのリンクのページからアクセスできます。

8・12連絡会のホームページはこちらです(クリック)
 2012年4月1日 管理人
 NHK総合 あさイチで遺族・能仁怜子さんが取り上げられました

 NHK総合の「あさイチ(月〜金 朝8時15分〜)」で3月22日(木)に、日航機事故で、三女の千延子さん(享年22歳)を亡くされた能仁怜子さん(81歳)が「桜ものがたり」のタイトルで取り上げられました。以下に紹介しておきます。

 震災以降、桜を植樹する人が増えています。寒い冬を耐え、花を開かせる桜に亡き人への思いを重ねる人が少なくないからです。滋賀県大津市にある石山寺もそんな桜の名所の一つ。そこに、いち早く春の訪れを知らせる520本の早咲きの桜があります。
 この桜を植えたのは日航機墜落事故で三女の千延子さん(享年22歳)を亡くした徳島県に住む能仁怜子さん(81歳)です。やり場のない悲しみから立ち直れずにいた能仁さんは、散っては咲く桜に「永遠」を感じ、桜の植樹を思い立ったのでした。植樹場所に選んだのは石山寺。次女の博子さんの嫁ぎ先です。
 能仁さんは事故の翌年から3年かけて犠牲者と同じ数だけ苗木を植えました。以来、桜の成長を楽しみにしてきた能仁さん。今も悲しみは消えませんが、数年前から美しい花を咲かせる桜に、心癒やされるようになりました。
 番組では、能仁さんの四半世紀を振り返るとともに、愛する人を突然失った人たちの桜に込める思いに迫りました。

問合せ先
「石山寺」
住所:滋賀県大津市石山寺1−1−1
ホームページ : http://www.ishiyamadera.or.jp/

 2012年2月8日 管理人
 当サイトへのアクセス数の推移を集計してみました

 アクセス統計を取り始めた2002年から、毎年アクセス数の多くなる、7月と8月のアクセス数を合計した数を集計してしてみました。最高は事故から20年目に当たる2005年の274,348件、最少は昨年の42,390件でした。

10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
2002        55,797
2003        62,456
2004         69,667
2005 274,348
2006 162,509
2007 95,017
2008 164,370
2009 102,086
2010 162,312
2011 42,390
 2012年2月3日 管理人
 今月から要支援2になりました、リハビリ先で当サイトの欠点発見

 昨年8月、「要介護1」の認定を受け、高鳥クリニックにリハビリに通っていましたが、その甲斐あって、要支援2に改善されました。これからは別の施設に週2日(半日)通ってリハビリを続けます。
 サイトの管理運営に支障はありません。これからもよろしくお願いします。

 余談ですが、高鳥クリニックではインターネット環境が整備されており、大きなディスプレー(モニター)のパソコンが無線ランで接続、置いてありました。そのパソコンでこのサイトを見てびっくり。ページによっては表が横に大きく伸びて、読み辛いものになっていることに気付きました。私はノートパソコンで、小さいモニターで見ていたので問題を発見することが出来なかったのです。家に帰って早々に修正しました。これまで見辛い画面で我慢して下さった皆さん、ごめんなさい。
 2012年2月2日   8・12連絡会ホームページより
 123便事故遺族として心から感謝申し上げます    8・12連絡会

 平成24年1月22日に執り行われた黒沢丈夫元村長(昨年12月22日に97歳で死去)の、村と黒沢家の合同葬儀・告別式に参列いたしました。
 式場に入ると、まず飛び込んできたのは、私たちをいつも守ってくれていたあのやさしいまなざしの黒沢丈夫さんの写真でした。
 葬儀・告別式には、上野村の皆様はじめ、福田元総理や自衛隊幹部の方、日本航空など、580人が列席。葬儀委員長の神田強平村長は「あまりにも大きな柱を失った村民は、途方に暮れ、悲しみの中にいます。黒沢さんが常にとなえていた共助の精神を忘れることなく、これからも誇りある村づくりに励んでいきます」と式辞を述べられました。
8・12連絡会事務局や慰霊の園理事などの123便事故の遺族は、関西からも駆け付け10人を超えました。
 事故当時から上野村は、山深い交通の不便な場所にありながら、多くの関係諸機関のとりまとめをして、慰霊の園を作り、御巣鷹の尾根を聖地として末永く慰霊して下さっています。
 ここに、日航123便事故以来長い年月、犠牲者の私たち家族に寄り添ってくださった黒沢元村長に心からお礼を申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 明治32年に出来た法律で、「行路病人及び行路死亡人取り扱い法」という法律があります。これは、一人か二人の行路の死亡者を想定した法律ですが、この法律はその後も改定されることなく、27年前の520人が亡くなった日航機の事故にも適用されました。123便事故(全ご遺体が確認された192人を除く)のご遺体部分は、上野村で永代供養をする義務が生じました。
 そこで、黒沢村長は日航他関係機関との調整をし、基金を集め、全日空の雫石事故などを参考にして、財団法人「慰霊の園」を作りました。また、事故直後から、高齢の遺族が、険しい山道を事故現場まで慰霊登山していく後姿を見、関係機関と調整し、山の国有林であり保有林である御巣鷹の尾根に道を作りました。
 また、私たち遺族にとって共通で、最大の願いである「御巣鷹を安全の原点として末永く発信していくための礎」を作り、社会の安全を願う聖地として誓いの場としました。


【123便事故遺族として心から感謝申し上げます】

 御巣鷹の尾根のふもとにある上野村の人々には、事故以来、言葉では言い尽くせないほどお世話になってきました。黒沢さんの遺影に向かった時、事故の翌年、1986年8月3日 「慰霊の園」の理事長である黒沢丈夫村長(当時)の式辞が思い出されました。
「昨年12月、遺骨を迎えてから、どのように御霊を奉り、慰め、供養するべきかを思い巡らせ、その式典を挙行する準備を進めてきた。上野村の天地は、人も山も川もこの一年喪に服する心でひたすら皆様の御霊を奉り慰める道を考え、ここに慰霊の園を建設した。(中略)ここを大事故を起こさないための戒めの天地とし、伝えつづけ、村民の皆さんが、他人に尽くすという事の大切さを心得、受け継ぎ使命を果たしてくださると思っている」とありました。
黒沢さんは、元海軍少佐。開戦とともにゼロ戦に乗り、インドネシア、シンガポールなどを転戦。マニラ上空で、燃料タンクを切り離す際に酸素マスクが外れ、死にかけた経験もあります。
 2005年6月の村長退任の日、8・12連絡会は、花束を持って上野村を訪れました。その時、黒沢さんは、「安全問題への関心を、国民にさらに高めていきたい。そのためにも慰霊の園は、村や日航任せではいけない。国としての関与も必要。村として、霊を祭り、慰め、事故を戒め、ここから交通安全を発信したい」と話されました。
2012年1月22日、葬儀に参列しました。羅針盤をなくしたようで、不安と寂しさが募りました。しかし、123便事故遺族の私たちは、黒沢さんに心から感謝致すと共に今後も、御巣鷹から安全の警鐘を鳴らし続けていきますのでお守りくださいと遺影に語りかけました。
                                      8・12連絡会
 2012年1月22日 産経ニュース
 黒沢氏合同葬に580人 日航機墜落時の上野村長

 昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故で当時の群馬県上野村長として捜索活動を支援し、昨年12月に97歳で亡くなった黒沢丈夫氏の葬儀・告別式が22日、同村で開かれ、福田康夫元首相や大西賢日本航空社長ら約580人が参列した。村と黒沢家の合同葬として執り行われた。

 神田強平村長は式辞で「黒沢氏は正確な統率で救助、遺体確認に尽力した」と墜落事故を振り返った。大西社長は参列後、記者団に「大惨事の中で救助の陣頭指揮を執っていただいた。社の基盤である安全の大切さをこれからも発信し続けたい」と述べた。

 2012年1月23日 東京新聞
 黒沢元上野村長 葬儀・告別式 580人が最後の別れ

 昨年十二月二十二日に九十七歳で亡くなった元上野村長、黒沢丈夫さんの葬儀・告別式が二十二日、同村楢原の上野中学校体育館で営まれた。黒沢さんは一九八五年八月の日航ジャンボ機墜落事故の対応に陣頭指揮を執っただけに、事故の関係者ら計五百八十人が参列して惜しんだ。

 式では、葬儀委員長を務める神田強平村長が「事故では、救助や遺体確認業務に尽力し、ご遺族の心情を察して財団法人・慰霊の園を設立。ご遺族をはじめ多くの関係者に感動を与え、今も引き継がれている」と式辞を読み上げた。

 黒沢さんは事故の一回忌で「御巣鷹の尾根の惨状が目に浮かび、最愛の人を失って悲しみに暮れるご遺族の姿に悲涙が流れます。何たる悲惨、何たる無情」との式辞を朗読。その後も遺族たちに寄り添い、事故の風化防止に長年尽力してきた。

 妹を亡くした愛知県刈谷市の武田たかしさん(77)は参列できなかったが、黒沢さんと長年付き合いがあった。
 武田さんは「信念の強い人だった。一緒に食事をしたこともあるが、遺族にはよく気を使ってくれた。事故を風化させないためにも、もう少し長生きしてほしかった」と悔やんだ。

 2012年1月4日
 元上野村長黒澤丈夫様の合同葬について

 名誉村民である元上野村長黒澤丈夫様におかれましては、平成23年12月22日にご逝去されました
 ここに生前のご厚誼を深謝し 謹んでご通知申し上げます
 おって葬儀 告別式につきましては 黒澤家及び上野村の合同葬をもって 下記のとおり執り行います
 また 誠に勝手ながら 御香典 御供花 御供物の儀は固くご辞退申し上げます

                記

 1 日   時   平成24年1月22日(日) 午後2時より
 
 2 場   所   上野中学校体育館 (上野村楢原113)

合同葬儀 告別式の会場及び駐車場につきましてはこちらをご覧ください(クリック)
駐車場は上野村運動公園施設(こちらから会場まで送迎を行います、約5分)

                            (以上、上野村ホームページより)

葬儀委員長は神田強平村長
上野村役場 〒370−1614 群馬県多野郡上野村大字川和11番地
         電話 0274−59−2111  FAX 0274−59−2470
 毎日新聞 2011年12月24日(土)10時47分配信
 黒沢丈夫さん死去:日航機墜落時の上野村長、悼む声相次ぐ

 10期40年にわたって上野村のかじ取り役を務めた黒沢丈夫元村長(97)が22日、富岡市内の病院で肺炎のため死去した。黒沢元村長は85年の日航ジャンボ機墜落事故後には、犠牲者を供養する財団法人「慰霊の園」設立に奔走するなど遺族支援に尽力した。事故から26年。大惨事を現場で体験した語り部がまた一人亡くなった。事故の遺族や村関係者からは死を悼む声が相次いだ。
 黒沢元村長の家族によると、黒沢元村長は13日に発熱し、19日に同市内の病院に入院。20日に心不全を起こし、22日午後6時52分に息を引き取った。
 墜落事故の遺族でつくる「8・12連絡会」の美谷島邦子事務局長は悲報を知り、「すごく寂しい。事故を風化させないように、いち早く慰霊の園を作ってくれた。私たち遺族のことも自分のことのように考えてくれて……。今も感謝の気持ちでいっぱいです」と死を惜しんだ。
 事故当時から遺族を支援してきたボランティア団体「ふじおか・おすたか・ふれあいの会」の坂上シゲヨ会長は、事故当時の黒沢元村長の働きぶりを知る一人。「決断力がある人だった。身元不明の遺骨の保管場所の確保など、陣頭指揮をとっていたのを思い出す」と振り返った。
 村役場職員として黒沢元村長の下で働いた神田強平村長は「村民の気持ちの支えのような人だった。時間がたつと心にぽっかり穴が開くだろう」と語った。【喜屋武真之介、畑広志】

黒沢家と上野村の合同告別式は1月22日午後2時から、上野村楢原113、上野村立上野中学校体育館で。葬儀委員長は神田強平村長。自宅は同村乙父629、喪主は慎輔(しんすけ)氏。
 2011年11月11日
 サイト管理人です

 サイト管理人の祝部(ほうり)幸正です。私は今年5月末に入院し7月末に退院しました。2ヵ月余りの入院の内、最初の1ヵ月は寝たきりの状態でしたので、リハビリで歩く練習から始めました。介護保険の認定を受け、現在も週に2日リハビリに通っています。退院が8月12日に間に合い、新聞を買い求めサイトを更新することが出来ました。
 事故から26年が経過し、当サイトへのアクセスも減少していますが、それでも1日に200人前後の方が訪問して下さいます。事故の風化を防ぐ一助になればと、引き続き頑張ってまいりますので、よろしくお願いします。
 掲示板はいたずら書きが多く一度廃止しましたが。再開することにしました。
 2011年3月1日 産経ニュース
 日航ジャンボ、41年の歴史に幕

「ジャンボ」の愛称で親しまれた日本航空のボーイング747の定期運航便ラストフライトの2機が1日午後、成田空港に到着した。日航のジャンボは1970年に就航し、世界で最も多い112機を導入したが、同日で経営再建のためのリストラですべて退役し、高度経済成長などを支えた41年の歴史に幕を閉じた。

 成田に到着したのは、国内線の那覇発の3098便、国際線のホノルル発75便。日航のジャンボ機は、ピーク時の94年から2001年には約80機が運航していた。しかし、原油高騰で燃費の悪さなどが日航の業績を圧迫する要因にもなった。昨年2月に会社更生法の適用を申請し、再建に向けたリストラの一環として全機の退役を決めた。

 日航によると、2日以降は臨時便などで使用する予定もなく、塗装を塗り替えた上で、海外の航空会社などにすべて売却されるという。

 2010年8月12日 日本航空機長組合
 「日本航空123便事故 25年目にあたって」

 単独機としては史上最大の犠牲者を出した1985年8月12日の日航123便事故から、私たちは、25年目の夏を迎えました。日本航空機長組合は、見解に先立ち、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害にあわれた方々、ご遺族に心よりお見舞いを申し上げます。また当時、救出に立ち会った方々等、関係者すべてに深く御礼を申しあげたいと思います。

 123便事故後、機長職にあるものとしての自己反省と、単なる体制批判にとどまらず安全運航を維持するための積極的な行動が、事故後の日本航空再建には欠かせないとの決意のもと、機長組合は設立されました。運航の最終責任者たる機長としての社会的責任を果たし、安全運航への信頼を回復することが我々の活動の目的であることは、今も変わりません。

 また日本航空は、123便事故の残存物を保存するべきであるとのご遺族の希望や私たちの強い要望もあり、2006年に「安全啓発センター」を設立しました。事故を直接知らない世代の社員が多くなるなか、安全運航の重要性を再確認する場としています。

 機長組合はここに、25年目を迎え、改めて見解を発表することといたします。

「見解全文」については、当サイトのリンクのページ「日本航空機長組合」をご覧下さい。(サイト管理人)
 2010年8月11日 YOMIURI ONLINE 読売新聞 群馬
 黒沢丈夫元村長 「慰霊事業」は国の特別交付税で

 日航は6月、「慰霊の園」に500万円を寄付した。慰霊事業の継続は、経営再建の成否で左右されかねない。事故発生時を挟んで40年間、村長を務めた黒沢丈夫さん(96)は「日航が危なくなってきたのなら、国の特別交付税で山の整備とともに慰霊式典を行うべきだ。それが世界に発信され、『空の安全』を考えるきっかけになる」と訴える。
 2010年8月10日 毎日新聞
 日本航空:「慰霊の園」積立金600万円を返済

 ジャンボ機墜落事故で設立された財団法人・慰霊の園(群馬県上野村)の積立金から日本航空が登山道の整備費1200万円を借りていた問題で、日航は10日、600万円を返済した。残る600万円は7月に既に返済している。当初は今年度から3年で完済する予定だった。日航は「誤解を招きかねない状況があった」などと謝罪のコメントを出した。
 整備は09年に御巣鷹の尾根への登山道を改修した工事で、日航のほかに県と村が各400万円を負担した。日航は09年2月、「経営難で新たな事業の予算が組めない」などとして、積立金約5億円からの借用を慰霊の園理事会に提案、同3月に了承されていた。

 8月3日11時40分 毎日新聞
 <日航>慰霊道整備で御巣鷹積立金借用 経営難で1200万

 経営再建中の日本航空が、1985年のジャンボ機墜落事故で設立された財団法人慰霊の園(群馬県上野村)の積立金から、登山道の整備費負担分1200万円を借りていたことが分かった。積立金は日航の寄付や村民の浄財などで約5億円あり、利息を慰霊事業に充てていた。日航は「経営難で、現金を払う余裕がなかった」と説明し、今年度から3年で返済する予定。
 日航によると、1200万円は、墜落現場の御巣鷹の尾根に通じる慰霊登山道を昨年7月に県、村と整備した際の日航負担分で、寄付金とは別の特別な支出だったという。今年1月の経営破綻(はたん)前だったが、財団の理事会に取り崩しを提案し、了承された。借用書などはないという。日航は今年7月、このうち600万円を返済した。
 日航は86年に5億円、88年に3億円を積立金として寄付。09年度は600万円を寄付したが、今年度分の寄付はなく、11年度分として6月末、500万円を寄付している。

 7月13日11時47分配信 産経新聞
 前原国交相が慰霊登山へ 日航ジャンボ機事故25年目の8月12日

 前原誠司国土交通相は13日の閣議後会見で、日航ジャンボ機墜落事故から25年目となる8月12日に、墜落現場の「御巣鷹(おすたか)の尾根」(群馬県上野村)への慰霊登山に参加する意向を明らかにした。
 前原氏は「慰霊登山をさせていただき、(犠牲になった)520名のみたまに哀悼の意を表したい。25年という節目でもあり、所管大臣として(会社更生手続き中の)日航の再生を決断し、その途上でもある。ああいう事故が2度とあってはいけないという思いを交通事業者に共有してもらいたい」と述べた。
 群馬県と上野村が前原氏に参加を要請していた。日本航空によると、これまで首相や所管大臣が慰霊登山に参加した例はなく、前原氏が初めてとみられる。

 2010年7月8日 17:17(上野村HPより)
 御巣鷹の尾根登山道の通行止め解除について

 工事のため通行止めとなっておりました御巣鷹の尾根登山道は、次のとおり通行止め解除となりますのでお知らせいたします。
         
         記
 解除日時 平成22年7月10日(土)
      午前9時から

 2010年6月25日 08:45(上野村HPより)
 御巣鷹の尾根登山道の通行止めについて

御巣鷹の尾根登山道について、土砂崩れのため、次のとおり通行止めとします。
 期間:平成22年6月25日から、1〜2週間
 ※土砂崩れ箇所は、旧登山道駐車場から800m先、見返り峠付近の村道
 最終更新:6月8日 3時5分 読売新聞
 御巣鷹荒らし頻発、短冊や千羽鶴切り刻む

 日航ジャンボ機が墜落した群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」で今月3日、遺族らがメッセージを記した短冊と千羽鶴が切り刻まれているのが見つかるなど、「昇魂之碑」の周辺を荒らす行為が頻発していることがわかった。
 8月で事故から四半世紀を迎えるのを前に、遺族は心ない仕打ちに胸を痛めている。
 碑は、山中の日航機が墜落した地点に立ち、周囲には犠牲者の墓標が並ぶ。月命日の12日などには遺族らが多く訪れ、慰霊の言葉をつづった短冊を「鎮魂の鈴」とともに棒に結わえつける。今月3日朝、墓標に供えられた千羽鶴は風雨を避けるビニール袋が破られたうえ、ひもが何か所も切られて地面に散乱していた。短冊は、33枚が切り落とされていた。
 ふもとから週3回ほど通う管理人の黒沢完一さん(67)によると、心ないいたずらは2007年末頃から目に付くようになった。特に今年はスナック菓子をばらまいたり、中腹の駐車場で傘を燃やしたりするなど十数件が確認された。5月には、遺族の神経を逆なでするような言葉を書き付けた短冊3枚も見つかった。
 事故で肉親を亡くした女性は「人間としてやって良いことと悪いことが分からない、かわいそうな人だとさえ思う。25年がたち、これから頑張っていこうと思っているところに、新たな悲しみが増えてしまう」と憤りをあらわにする。
 黒沢さんは「こんなひどいことは今までなかった。今後も続くようなら、警察に届け出ることも考えている」と話している。
 御巣鷹への登山者は、08年と09年に事故を題材にした映画が公開されたこともあって増加。開山日の4月29日から5月末までの登山者は約700人で、07年同期の約1・5倍だった。
                      
 2010年6月 サイト管理人
 美谷島邦子著 「御巣鷹山と生きる」で紹介されました
 8・12連絡会、事務局長の美谷島邦子さんが、「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」を出版されました。その中で、当サイトについて次のように記述して頂いています。

「マスコミではないが、ホームページで協力してくれる人もいる。『日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録』を25年間発信されている祝部幸正さんだ。事故が起きてからこれまで、新聞が取りあげた事故関連の記事の見出しを記録し続ける。8・12連絡会のことも、トピックを設けて取り上げてくださっている。事故を風化させないという変らぬ思いに、感謝の心が溢れる。」
 2010年4月29日 上毛新聞
 日航「寄付金出せず」

 
1985年の日航ジャンボ機墜落事故の慰霊行事を主催している上野村の財団法人「慰霊の園」(理事長・神田強平村長)の理事会が28日、村役場で開かれた。日航は会社更生法の下、経営再建を理由に2009年度の寄付金を出せないと報告した。本年度は500万円の寄付を予定しているが、関係者からは慰霊行事継続に不安の声も上がっている。
 日航事務統括部長の山口順一さんは「支出などについて社内で決断するのに時間がかかり、管財人の許可がないと寄付もできない」と説明、理解を求めた。
 財団の09年度の収入のうち08年度からの繰越金は約1400万円。この金額で年間運営費をまかなえるが、赤字になった場合、財団の積立金を取り崩すこともあり得るという。
 昨年に完了した御巣鷹の尾根の登山道整備で、日航は1200万円を負担することになっていた。だが、その当時から経営が厳しかったため、財団が積立金5億5千万円から1200万円を取り崩して充当していたことも明らかになった。日航は6月末までに600万円を返済し、残り600万円も早急に返済する意向を示した。
 遺族側は取り崩しにつてい「事前に説明をしてほしかった」と不満の声を上げた。遺族らでつくる「8・12連絡会」事務局長の 美谷島邦子さんは「取り崩した基本財産を元に戻してほしい。慰霊の園は価値あるもので、施設や慰霊行事は必ず守りたい」と話した。
 神田村長は「寄付金が出ないことで運営は厳しくなると思う。積立金の利率も年々下がる一方。再建中の日航も厳しいと思うが、村だけでは運営費をまかないきれない」と不安を口にした。

 2005年7月22日 YOMIURI ONLINE 読売新聞 群馬
 事故から20年 基金も底・・・今や日航の寄付頼み

 上野村の松元宇隆村長(68)は7月21日、6月の就任後初めて、御巣鷹の尾根に登った。
 財団「慰霊の園」の前日の理事会で、黒沢丈夫前村長(91)から理事長を受け継いだ。山道を踏みしめながら、改めて520人の追悼慰霊を指揮する責任の重さを感じた。
 事故機が削り取った山肌は、成長した樹木で変容し始めていた。遺体が集中したスゲの沢の斜面も生い茂った樹木で、墓碑が所々隠れていた。松元村長は尾根の整備の必要性を実感した。
 慰霊事業は厳しい情勢が続いている。
 事故では、最終的に518人の身元が確認される一方、身元が特定できない部分遺体が残った。これに対し、身元不明の遺体の埋葬を死亡地の自治体に義務づけた「行旅病人及び行旅死亡人取り扱い法」が適用され、上野村は「慰霊」の宿命を負った。
 村には日航・ボーイング社10億円、村内7000万、一般5500万円など計約11億4000万円の寄付が寄せられた。そのうち、共同墓所や追悼広場、登山道の整備などに約8億8000万円が使われた。
 残りを基金に1986年2月、黒沢前村長を理事長とする財団「慰霊の園」が設立された。日航側から約3億円の追加寄付を加え、基金は約5億5000万円となった。黒沢前村長は「財団を設立して基金を持たせ、利息で永代供養の事業を行おうと考えた」と話す。
 しかし、91年度に約4120万円が得られた利息は、利率の低下から年々減少し、00年度には約260万円と急減。02〜04年度は60万円台だ。昨年度の利率は0・12%で、黒沢前村長は「まさか金利が、ここまで低くなるとは」と財政事情の厳しさを認める。
 支出は施設整備が一段落した95年度以降も、登山道補修や式典費用、人件費などで2950万〜1180万円かかった。金利運用での不足分を取り崩した結果、財団の積立金は91年度の8000万円から、00年度には底をついた。日航は過去計5回、総額1億3200万円を追加支援した。「年度末に日航に寄付してもらっては、予算を組んでいる状態」(上野村)だ。
 7月4日、日航の新町敏行社長と松元村長が会談し、今後も協力して慰霊活動をしていくことを確認した。財団支援について、新町社長は「今後もできる限りの誠意を尽くしたい」と語った。
 黒沢前村長は「世界の航空会社で事故後、(遺族への補償後も)地元に20年も金を出し続けているのは日航以外ない」と言う。その“異例”な支援が今後も同様に続くかは不透明だ。
 松元村長は施設補修や人件費の切り詰めで出費を抑えながらの事業の継続を掲げる。しかし、同時に「(日航側には)お互い考えるところを酌んでもらいたい」との言い回しで、日航頼みの現状を認める。「年を重ねるごとに、厚みが増して重要なものになってきている」と松元村長がいう慰霊事業は、踏ん張りどころを迎えている。




▲ページのトップへ▲

家紋・右三つ巴

 
 
   管理人プロフィール

姓名:祝部幸正。「祝部」は(ほうり)と読みます。古語辞典では「はふり」で「祝」と書きます

生まれ:1944年(戦時中です)

住まい:出雲市大社町杵築北、直ぐそこは日本海です

職歴:電電公社・NTT勤務、無線技士、(鹿島町、広島市、松江市の無線中継所で勤務、マイクロウエーブで電話・テレビの中継、VHFや通信衛星での災害復旧用無線の仕事など)、最後は島根支店・マルチメディア推進室、54歳で退職  現在無職

経歴:大社町議会議員7期27年

   医療法人(出雲市民病院グループ)理事20年余
   曹洞宗・海晏山潮音寺、護持会 会長20年余
    1969年、広島労演副運営委員長(2年間)


HOMEへ