| 不老山 神光寺 |
| ふろうざん しんこうじ |
![]() ご本尊・釈迦牟尼佛 |
![]() 本堂内 |
![]() 神光寺・本堂 |
所在地 〒699-0711 島根県出雲市大社町杵築南736 0853-53-2557 地図でご案内 ここをクリック(MapFan) 住 職 渡部卓史(わたなべ たくし) 39世 開 基 貞治年間(1362年〜1367年)。悦堂常喜禅師(螢山禅師の法裔・実峰良秀禅師の第一哲)。 (注)螢山禅師の法裔・実峰禅師について。大本山総持寺の基礎を築かれたのは、二祖・峨山禅師で、91歳で遷化されるまで42年間、多くの弟子(25哲)を育てられ、中でも、特にすぐれた、太源宗真・通幻寂霊・無端祖環・大徹宗令・実峰良秀の5人の弟子を「五哲」と称している。(総持寺HPより) 本 尊 釈迦牟尼佛 建 宇 本堂一宇、庫裏一宇 由 緒 悦堂常喜禅師さまが貞治年間(1362年〜1367年)に、修理免弥山の麓より北に14、5町、人倫を離れた山奥に伽藍を創立され、不老山神光寺と号されました。本尊・釈迦牟尼如来を安置し、大檀那出雲国造千家、北島両家の帰崇を得て、仏道霊場として栄えました。 大本山総持寺直末寺25ケ寺の一つです。 12世玄誉和尚の代、天正年間(1573年〜1591年)、大洪水のために山は貫け、伽藍は残らず崩壊し、よって山麓(現在の子安寺の位置)に移転再建するに至っております。旧跡を現今に至るまで、坊床と称しておりますが、これは坊舎のあった由来を物語っており、昔の柱石その他石垣等が今なお残っています。 17世元宅和尚の代、慶安元年(1648年)6月21日再び降雨にあい、伽藍等総て流失しました。ここにおいて、新地を願い出で、慶安2年(1649年)8月15日、松平出羽守より御絵図裏書証文を以って、寺地として杵築大鳥居の東方の三角地、462間を賜りこれを自費開墾し移転しました。即ち現在地です。 慶安年間(1648年〜1652〜)〜寛文年間(1661年〜1673年)にわたり、18世風月和尚の代に本堂、庫裡、山門、禅堂、衆寮などの各建築が落成しています。 22世月峰和尚の代、延享元年(1744年)8月、風難のために山門が倒壊し、さらに同暦2年(1745年)12月には火災が発生し、本堂、庫裡禅堂など一切を焼失してしまいました。寛延元年(1748年)、庫裡が落成しました。 25世雪山和尚の代、寛政5年(1793年)10月、本堂が再建落成し、さらに廊下、土蔵等の建築が終わり、享和3年(1803年)開山堂が落成しています。即ち現在の堂宇は総てこれであります。 寛文年間(1661年〜1673年)、尼子義久より寄進された一切経輪蔵(八角形にして堂3間4面)を出雲大社より移して、当境内に建造してありましたが、31世霊瑞和尚の代、明治6年(1873年)6月、火災にかかり、堂宇、経巻一切を失っております。 36世清巌和尚の代、大正13年(1924年)8月、化城門並びに参拝路が完成。明治時代、廃仏毀釈により「心光寺」と変えられていた寺号を「神光寺」に復元。 38世説康和尚の代、昭和53年(1978年)8月、庫裡、不老会館(檀信徒会館)落成。昭和62年(1987年)、本堂屋根替え、開山堂、位牌堂落成。 末寺には潮音寺(4世)、法海寺(5世)、西光寺(8世)、荘厳寺(10世)、西連寺(13世)、妙相寺(15世・斐川町)、薬師寺(15世・出雲市高松)、文珠院(16世)、観音寺(16世・出雲市猪目)がある。この他に、天徳寺(2世)、菩薩寺(6世)、聖財寺(7世)があるが現在では不明。 行事等
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